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3件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1949-11-28 第6回国会 参議院 建設委員会 第5号

北條秀一君 それでは二十三年の十一月二十一日に市長は市民に対して市政に関する世論調査をやられて、そのうちでこの四條線は四十五メートルにするがいいかどうかという調査をされております。この調査はすでに決定された方針であるならば、そういうような世論調査をする必要はないと思いますがどういう趣旨でこれをやられたか伺います。

北條秀一

1949-11-28 第6回国会 参議院 建設委員会 第5号

○証人(清水武夫君) 都市計画として道路幅員を決める場合には、財政的の問題も多分に考慮されるわけでありまして、この南四條線のごときは札幌市でも重要な幹線でありますが、これを大きな幅員を以て改築することは非常に経費のかかることであります。この決定の際には單に交通量のみをさばくというような意味合から行きまして、最小限度の拡幅を考えて二十五メートルとして決定したものであります。

清水武夫

1949-11-28 第6回国会 参議院 建設委員会 第5号

その当時の直接の関係者が本市の公園部長をやつておりますのでこの方でしたら或いは分るかも知れませんが、更にもつと広く疎開するのが至当と考えたかも知れませんけれども、土地の境が、南四條線とそれから南三條線の中通りの間の境が、大体十三間ぐらいでもつて一区をなす、二十七間の半分、そこでその十三間の線をとるのが至当だと考えて、大体四十五メートルの線で疎開したのではないかと想像しております。

高田富與

1949-11-22 第6回国会 衆議院 建設委員会 第6号

小川原政信君 札幌市南四條線復興計画請願であります。この請願者地主九十余名、その他二百六十世帶でございますが、高橋秀彰ほか三名が代表者として提出せられた次第であります。その概要を申し上げますと、市街地を高度に利用しようとして都市計画が実施せられたのでございますが、札幌市南四條の防空法による強制疎開地で、これを復興したいというのであります。

小川原政信

1949-07-13 第5回国会 参議院 建設委員打合会 閉会後第2号

この南四條線の問題につきましては、実は先程お話のありました住宅問題の点につきましては、これは疎開をいたしましたのは随分古い話なんでございまして、恐らくその人達が今まで住宅がないということもないのじやないかと思つておりますが、併しこの点につきましては、十分市当局とも道当局とも打台せを遂げまして、それらの人達の不安のないようにして行きたいという氣持を十分持つております。

八嶋三郎

1949-07-13 第5回国会 参議院 建設委員打合会 閉会後第2号

説明員八嶋三郎君) 只今請願趣旨でありますが、札幌市の南四條線の路線の幅員の問題について只今請願でありますが、これについては只今請願の中にもありましたごとくに、実は戰爭中に疎開して防火上必要としたものを戰後において都市計画上、眞に必要なものだけを残して、その他は全部元の地主に返すなり、処置をするなりせよという実は指令を出してありますので、この札幌の南四條線の問題につきましては、いろいろと市並

八嶋三郎

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